映画『ヴォロチャーエフ要塞の日々』のための音楽
〜“うた”について〜
常に主役でいたいトランペット吹き 白川悟志
1.選曲に関するエピソード
昨年夏の選曲会議でこの曲を強く推したのは、この私である。3年前に取り上げた交響詩『十月』の渋〜い第2テーマの旋律が、実は、ショスタコーヴィチが音楽を手掛けた「ヴォロチャーエフ要塞の日々」という映画の中のパルチザン(民間人による非正規軍)が歌う歌から取られているということを資料で知り、この映画音楽の音源を探していたら、やがて、「世界初録音」と銘打ったCDが売
り出された。
早速CDを買って聴いてみると、なるほど、かの聴き覚えのある旋律が曲の所々に鳴り響いている。ある箇所では厳然たるマーチ調で、また別の箇所では嵐のように激しく…。うーん、やはりあのメロディーは、どんなアレンジで聴いてもかっこいい。
そして何より嬉しかったのは、『十月』では、作曲者はかのテーマを木管や弦楽器に演奏させていて、トランペットの私は、「おいらもあのカッチョええ旋律を吹きたいなー」と指をくわえて伴奏声部に甘んじていたが(…いや、指をくわえたままではラッパは吹けないので、心情面の話)、この『ヴォロチャーエフ』では、もろトランペットがこのメロディーを吹いていることである。いや、かの憧れの旋律だけではない。この映画音楽は、トランペットのシグナルによる開始を
はじめ、常に金管が音楽の主役になっている。――やりたい!
それで、今期の選曲会議に、映画音楽『ヴォロチャーエフ要塞の日々』を候補曲として議長に提出したのだ。推薦理由は、「ラッパがかっこいいから、吹きたい」―― 一長一短はあるが、これがダスビの選曲だ。
市販のCDによると、曲は、『序曲』、『日本軍の攻撃』、『[断章]』の3曲から成る組曲。特に第3曲『[断章]』は、ショスタコーヴィチお得意の疾風怒濤のド迫力ピースで、組曲のフィナーレとしては申し分ない音楽だと思った。選曲会議ではめでたくプログラム入りの運びとなり、早く譜面が届かないかなーと心踊る日々を過ごしていたところ、一足早く譜面を見たというメンバーから驚きの知らせを聞いた。
なんと、この組曲には、市販のCDには収録されていない4曲目があり、しかも男声合唱を要するのである。再び選曲会議が召集され、この4曲目をどうするか話し合われた。ネックになるのは、合唱団の手配である。その点を考慮した案として、「CDのように第4曲はカットして演奏する」案、「第4曲を純オーケストラ曲に編曲して演奏する」案が出されたが、この曲を推した私は、困難覚悟で合唱団を編成し、楽譜どおり、男声合唱入りで第4曲を演奏することを主張した。理由は、『極東の歌』と題されたこの第4曲は、楽譜を読む限り、とても渋くて哀愁に満ちていて、この感じは男声合唱特有の深い響きが無いと絶対に表現できないと思ったからだ。どうせ演奏するなら、単に違和感のない演奏ではなく、作曲者が楽譜の中に創り出した音を可能な限り表現したいと思ったのだ。
かくして、もしかしたら世界初演となる4曲版『ヴォロチャーエフ要塞の日々』の舞台を目指して、怒濤の合唱団編成プロジェクトがスタートしたのであった。
2.ショスタコーヴィチと映画音楽
ショスタコーヴィチと映画の関わりは深い。さかのぼれば、彼が学生の頃に父を亡くし、生活のために映画館でBGMを即興演奏する(当時は無声映画だった)というアルバイトをしていたというところに行き着くだろう。1936年、29歳の時に、政府から「ショスタコーヴィチのオペラは社会主義ソ連に合わない」旨の公的批判(プラウダ批判)を浴びたのをきっかけに主な収入源を失い、映画音楽を書いて生活の糧を得るようになる。翌37年には、有名な第5交響曲で名誉を回復するが、依然、映画音楽の仕事にも精力的に取り組み続け、生涯を通じて多くの映画音楽を残すところとなった。
彼は、映画音楽について、次のような持論を述べている。
――映画音楽というのは、映像の傍らでただ何か鳴っていればいいというものではない。その音楽が付くことで、そのシーンが現実味を帯び、映像を過不足なくサポートするものでなければならない。
3.『ヴォロチャーエフ要塞の日々』の音楽と“歌”
かの第5交響曲(作品47)の直後に書かれたのが、映画『ヴォロチャーエフ要塞の日々』のための音楽(作品48)である。
作曲者が語ったところによると、この映画音楽の仕事で最も苦心したのは、前述の「パルチザンが歌う歌」、まさに“英雄的な歌”の作曲だったそうだ。ショスタコーヴィチは、この“英雄的な歌”のメロディーを、この映画のための音楽全体の縦糸となるメインテーマにしたかったようである。
彼は、このときの“歌”作りにかなりこだわったようで、この映画音楽の素材を用いて、『ヴォロチャーエフ要塞の日々』をオペラ化する構想まで練っていたらしい。(でも、このオペラ化の構想は実現しなかった)。目指したのは、オペラの観衆が「ああ、いい歌が聴けた」と感じられるような印象的な“歌”を作ることだった。
さらに彼は、このときの“歌”作りを契機に、歌曲その他の室内楽の作曲に力を注ぐようになる。この『ヴォロチャーエフ』(作品48)の次作が、ショスタコーヴィチにとって初めてのジャンルとなる弦楽四重奏曲第1番(作品49)である。
以降の創作の方向性にまで影響を与えることになった“英雄的な歌”そのものは、残念ながら本日演奏する組曲には編纂されてはいないが、第4曲『極東の歌』と相い通じる楽想の歌である。
4.映画の内容
映画は、1918年の「シベリア出兵」を背景としている。「シベリア出兵」とは、資本主義大国間の植民地競争ともいえる第一次世界大戦が長期化する中、1917年のロシア革命による社会主義政権ソヴィエト誕生の波及を恐れた日本が、翌18年、米英仏と共に、ソヴィエト領内のチェコスロヴァキア軍の救出を名目に干渉軍を派遣したという、一種の侵略戦争である。各地のパルチザンの激しい抵抗に手を焼いた米英仏が撤兵を決めた中、大陸への勢力拡大を目論む日本だけは、満州、朝鮮の治安維持を名目に軍の駐留を続け、極東各地でパルチザンとの死闘を繰り広げることになる。
「ヴォロチャーエフ」とは、日本軍が侵攻し、パルチザンが激しく抵抗した末に日本軍によって焼き払われてしまった極東の小さな村、ヴォロチャエフスクの
砦である。
映画では、社会主義政権の国策も多分に反映されてか、かの村における日本軍の残虐行為がリアルに描かれている。
――植物の研究のためと称してヴォロチャエフスク駐留を開始した日本軍は、カムフラージュ用に、現地村民との友好関係をアピールするための記録映画を制作する。カメラの回る前で日本兵からプレゼントを受け取った現地の“エキストラ”は、カメラが止まった直後、日本兵によって頭を撃ち抜かれた。(このエピソードもかなり脚色されてはいるだろうが、実際、日本軍はかなりの残虐行為を行なったらしい)。
5.曲の概観
正直な話、今回演奏する4曲の組曲は、映画のために書かれた原曲からどのような経緯を辿って編纂されたのか、調べ切れなかった。全曲から単純に4曲を抜粋しただけなのか、それとも、コンサートにふさわしいように編曲が施されているのか、また、単に抜粋したにせよ編曲を加えたにせよ、それはショスタコーヴィチ自身によるのか、それとも他の音楽家の手が加わっているのか、このパンフレットの掲載には間に合わなかったが、ここまで惚れ込んだ曲のこと、時間をかけて調べてみたい。
第1曲『序曲』:映画のオープニング・テーマ。トランペットのシグナルに始まり、勇ましくも波乱を秘めたようなマーチになる。やがて、かの“英雄的な歌”によるテーマが現れてやや盛り上がるが、すぐにトーンダウンし、何か釈然としないまま終える。
第2曲『日本軍の攻撃』:この曲は、金管と打楽器だけで演奏される。小太鼓のロールに乗って、“前触れ”のようなホルンのシグナルが呼応する。やがて、トランペットが旧日本軍の軍隊ラッパを奏し、トロンボーンが呼応すると、ホルンによる軍隊マーチに展開する。映画の中では、日本軍が雪の斜面を登って要塞に突撃するシーンでこの曲が流れる。(最後は、要塞から雪玉を落とされ、日本兵がダンゴ状態で斜面を転がり落ちるというブザマなカット)。
第3曲『[断章]』:このタイトリングが表すように、作曲者あるいは編纂者が、原曲の中の数曲をつなげてコンサート用の1楽章に編曲したもの。(総譜上でも、この楽章のタイトルは[ ]付で記されている)。 この曲の断片は、ロシア・パルチザンの勇猛な反撃シーンで流れる。この曲で
は、木管が演奏に復帰するが、弦楽器は依然全休である。
第4曲『極東の歌』:ここで歌われる『極東の歌』は、ショスタコーヴィチの作曲ではなく、当時の有名な革命歌「パルチザンの歌」のアレンジである。日本でも、いわゆる“歌声喫茶”の世代の方には聞き覚えがあると思う。私としては、フィナーレにどうせ“歌”を置くなら、件の“英雄的な歌”にして欲しかったが、当時としては、組曲のフィナーレに誰もが知っている革命歌を置くことは、聴き手が「あっ、あの歌だ」とニンマリできるという、一種のファン・サービスだったのかもしれない。
3曲目までは完全に金管が主役の音楽と思われたが、この『極東の歌』を聴けば、前3曲の華々しい金管は、この深くて哀愁に満ちた“歌”のための前奏曲に過ぎないような気がしてくる。3年前の交響詩『十月』に続き、今回の『ヴォロチャーエフ』でもトランペットは主役になれなかった…。
6.日本人の“うた”
全くの余談だが、我々日本人にとって「うたう」という言葉の意味は広い。メロディーを付けてsingする「歌う」はもちろん、詩を口にする「吟う」、精神を高らかに宣言する「謳う」、その他「唄う」、「謡う」…全て「うたう」である。この「うたう」の語源をさかのぼると、「うったう」、つまり「うったえる(訴える)」の古語にたどり着くらしい。「訴える」…自分の気持ちや考えを人に強く伝えること。
私たち日本人にとって「うたう」ことは、自分の思いを強く強く「訴える」ことなのかも知れない。
(映画のビデオその他資料提供 中井弘明)