〜悲しい過去と上手くつきあっていくための音楽〜
私はここで、難解な音楽の "邪道な" 聴き方の一例を示したい。ただ、 "邪道" といっても、あくまでも作曲者や専門家の方々に対する謙遜からこう申し上げたのであって、個人的には、音楽を聴いてどう感じるか、また、感じたことをどう表現するかは全く自由であり、それこそが音楽鑑賞の醍醐味だと思っている。
このショスタコーヴィチの第4交響曲──まぎれもなく難解な音楽であろう。でも、このような難曲でもまた聴きたくなるのは、そこには、自分の人生の中で "聞き覚えのある音" を聞き取ることができるからである。例えば、私の場合は、フィアンセを交通事故で失った時に聞いた "音" を、この交響曲に聞き取ることができる。
いやしくも「曲目解説」と題されたコーナーに、自分の身の上話を掲載することは不謹慎かも知れない。でも、およそ音楽とは、世界中の各々の人が体験した "身の上話" ──「私は悲しい失恋をした」「私は難病で苦しんだ」「私はリストラに遭った」「私は戦争で全てを失った」等々──が、作曲家によって音楽という共通語に翻訳され、その作曲家の感受性豊かなメッセージが添えられ、再び世界中の人々に還元されたものだと思う。そうやって還元された音楽を私たちは聴き、その中に昇華された自分の "身の上話" を見つけ出し、慰められたり勇気づけられたりするのだろう。
以下、この交響曲に私の身の上話をなぞらえた「タコ4邪道鑑賞法」を書かせて頂くが、一つ皆様にお願いしたい。それは、演奏中は、できれば私の拙文を目で追うことなく、冊子を閉じて "音" に耳を傾けて頂きたいということ、また、なぞらえるなら、私の身の上話でなく、御自分の体験をなぞらえて聴いて頂きたいということである。(もちろん、読みながら聴きたい方はそうなさって下さい。あくまでも音楽鑑賞は自由ですから)。きっと、あなたの "身の上話" も、この難解な交響曲の中に聞き取ることができるでしょう。下記の文章についての補足──
第1楽章
電話が鳴った。人間にも野性の勘というものが具わっているのか、その電話の音になぜか悪寒が走った。地元四国に住んでいるフィアンセが交通事故に遭い、意識不明との悲報。私は四国行きの寝台特急に飛び乗り、まるで胸の中に鉛の塊を打ち込まれたような重苦しい不安に怯えながら、ただ窓の外の闇を見つめる。 | けたたましい不協和音による短い序奏の後、金管による激しい行進曲(「衝撃」のテーマ※)が現れ、いきなり最初の混乱を形作る。その後少し静まり、弦楽を中心に不安定な旋律(「不安」のテーマ※)が現れるが、すぐに木管が加わって徐々に音量を増してゆき、やがて金管を中心に「衝撃」と「不安」の両テーマが同時進行し、再び混乱を印象づける。これもまた静まり、今度は木管を中心に諧謔的な音楽が続くが、打楽器の唐突な強打を境に衰えて消えると、3度目の、そして最大の混乱が突然現れ、突然止む。 |
車窓の外に広がる闇の中に、私は、生死をさまよってフワフワ浮かぶ彼女を見る。 "こちらの世界" に呼び戻そうと名前を呼んでも聞こえず、手を伸ばしても届かず、不安だけが募ってゆく。 | ファゴットがゆるやかなメロディー(「夢想」のテーマ※)を奏で、弦楽が穏やかに展開させる。やがて2度目の「夢想」がバス・クラリネットに聞かれ、この交響曲の中では比較的穏やかで安定した部分が続く。が、3度目にホルンが吹くときには、高音のクラリネットの "かっこう" が "深い森=死の世界への入口" を暗示する。やがて音量を増し、トランペットのソロを合図に、不気味に肥大した「夢想」のテーマが低音の金管を中心に展開してゆく。それが止むと、「衝撃」のテーマが、木管の合奏によって淡々と進む。 |
列車を降りた途端に焦燥感と不安が沸き起こり、彼女の元にひた走る。病院のベッドに変わり果てた姿で横たわる彼女を見て、死別への不安と恐怖がさらに重くのしかかる。病室に死に神が舞い降りてきて、甘言を弄して彼女とワルツを踊り始める。 | 突然、第1バイオリンが「衝撃」のテーマから派生したパッセージを凄まじい勢いで弾きはじめ、中低音の弦楽器が順次これに加わり、音域と厚みを拡大していく。さらに管楽器も巻き込んで、ますます凶暴化し、ついには打楽器群による駆り立てられるようなリズムに乗って、金管が「衝撃」のテーマの輪唱を絶叫し、楽章中最もエキサイトしたクライマックスに至る。その後少しずつクールダウンしていくが、緊張感は続く。優雅だったはずの「夢想」のテーマも俗っぽいワルツに化け、やがて中途半端に途切れる。 |
死に神と楽しそうい踊る彼女に嫉妬するも、無力な私には何もできない。彼女はどんどん“死の森”へと入り込んでゆく。あぁ。なんとありがたいことか!心優しい死神が、哀れな私に、彼女との名残を惜しむための時間を与えてくださった。 彼女の鼓動を刻む枕元の装置の音が、少しずつ間隔を広げ、やがて止まる。 |
音楽はすぐに金管と打楽器による不協和音によって揺り起こされ、木管のモノローグを経て、冒頭の序奏が拡大されて再現される。が、これに続くのは行進曲に化けた「夢想」のテーマである。やがて「夢想」は“かっこう”を伴った本来の姿で再現されるが、かなり色あせたように聞こえる。“かっこう”を演じたソロのヴァイオリンが、そのまま、しみじみと語りかけるように「不安」のテーマを歌う。一瞬不安は消え去ったかのように錯覚するが、すぐに、ファゴットが大太鼓の行進曲のリズムに乗って「衝撃」のテーマをつぶやき、コールアングレが単調に時を刻みつつ、重い響きを残して楽章を閉じる。 |
第2楽章(間奏曲※)
舞曲風の第1主題とおおらかな第2主題とが交互に展開される簡素なスケルツォ楽章。弦楽合奏や木管の多重奏によって、美しくも不思議なサウンドが創られる。楽章の最後に現れる打楽器の奇妙なアンサンブルは、この作曲家ならではの独創性に驚かされる。
この器械仕掛のような打楽器の音は、彼の最後の交響曲、第15番等にも現れるが、彼と同時代に生きた人は、「私は国家の操り人形にされてしまった」というショスタコーヴィチの言葉を思い起こしたり、また、収容所で囚人たちが壁や鉄格子を叩いて通信し合う様を思い浮かべたりするそうである。
第3楽章
彼女の死を受け入れ、時間が全てを癒してくれると自分に言い聞かせるが、張りつめた心の糸が切れるのはたやすい。私は居ても立ってもいられず、彼女が命を奪われた現場へと飛び出した。車も自転車も歩行者も、少しでも早く青信号をクリアするために命を懸けている。交通マナーとかルールとか、命知らずの彼らにはどこかよその法律らしい。私は、やり切れなさにただ闇雲に走り続けるが、やがて息切れ…。 | 死と別れを象徴する葬送行進曲で、この楽章は始まる。ややドラマチックに展開するが長くは続かず、やがて、葬送から離脱して揺れ動く高音の木管に導かれ、低音の弦が次に続く音楽を予感させる。 わずかの隙に音楽は急転回し、抑えつけていた感情のほとばしるままに疾走を始める(「疾走」のテーマ※)。執拗に繰り返される3拍子の歯車を経てクライマックスを築き、チューバとホルンのクラクションを合図に混乱は収る。 |
ふと気がつくと、目の前には廃墟となった遊園地。安全確認を怠ったために惨事が起き、以後閉鎖されたとのこと。錆びたジェットコースターや観覧車が、かつて歓声に沸き返っていた昔を偲びながら、ただ朽ち果てるのを待っている。 突然、目の前にピエロが現れ、何やらまじないをかけると、ジェットコースターも観覧車も輝きを取り戻し、お城は灯に照らされ、メリーゴーランドは音楽とともに回り始めた。私は、ピエロに案内されるままにメルヘンの世界を巡り巡る。 |
ここから音楽は、分析困難な迷走を始める。 まず、バス・クラリネットのひょうきんなリズムに乗って、2本のピッコロが茶目っ気たっぷりに愛嬌を振りまくと、次は、大人びたチェロが舞踏会へと招待してくれる。この曲の随所に現れる激しいリズムや強烈な不協和音とは程 遠い "まともな" 音楽が続く。突然、ファゴットのコミカルなマーチが乱入し、騒動を引き起こす。すぐにワルツは再開されるが、いつの間にかソロのトロンボーンがお立ち台を独占して譲らない。が、やがてトロンボーンはしどろもど ろになり、フルートも「疾走」のテーマを奏でるが、全く勢いはない。音楽はそのまま眠りに就くかのように見える。 |
突然、お城の門が開く。中から出てきたのは、なんと死んだ彼女ではないか。思いも寄らない再会に胸は高鳴る。 | 2組のティンパニの確固たる連打に導かれて、金管のファンファーレが響き渡る。が、ハ長調のカデンツのはずだが、大胆な非和声音が含まれ、響きは濁り、この幸福感は偽りかという不安がつきまとう。やがて楽章冒頭の葬送行進曲が全てを呑み込むように立ちはだかり、 "嘘の幸福" の不安は現実のものとなる。 |
彼女との再会はしょせん幻。我に返った私の目の前には、荒れ果てた遊園地…、いやっ、
"交通戦争" によって廃墟と化した近未来の道路だ! 車や信号機の残骸の間から、しきりに何かを語りかけてくる彼女の声が聞こえる。が、何を言ってるのか聞き取れぬまま、彼女は夜空の星になった。 |
音楽は急速に静まってゆき、低音のリズムに乗って葬送行進曲の断片がこだまする。やがてチェレスタが、弦楽のハ短調の和音に支えられて、恨めしそうな "独り言" を何度も何度も繰り返し始める。(ちなみに、ハ短調という調性は、ベートーヴェンの「運命」以来、最も悲劇的な響きのする調性と言われている)。トランペットによる葬送行進曲の断片の間を縫い、ハ短調の "独り言" はさらに繰り返される。が、突然ハ短調から外れ、疑問を投げかけたまま、謎と不安に満ちた交響曲は息絶える。 |
(2000.2.20 第7回定期演奏会プログラムより)