団長挨拶(第8回定期演奏会チラシ裏文より)

byだんちょー@白川


 上の立場の人への批判というのは、非常に勇気のいることです。以後、自分が不利な扱いを受けるばかりでなく、最悪の場合、自分の首が飛んでしまうこともありますから。

 自分の首を護りつつ、何かしら“上”に対して反抗するには、ある時は陰でこっそりと、ある時は遠回しに、ある時は目一杯の皮肉を込めて誉め殺し……。決して健全な方法とは言えませんが、私たち凡人にとって最も手頃で共感でき、時にはそれが芸術の域にまで高められ、人々に根強く語り継がれることもあります。

 今回取り上げましたショスタコーヴィチの交響曲第12番「1917年」は、表向きは革命の指導者レーニンを讃えた作品(そりゃもうド派手なシンフォニーですわ)ですが、スターリンという独裁者を生み出したことへの皮肉が見え隠れしています。(そのカラクリは2/18にお聴かせしましょう)。また、詩曲「ステンカ・ラージンの処刑」は、17世紀に王侯貴族に反旗を翻して刑場の露と消えたコサックのリーダー、ステンカ・ラージンの反乱をテーマにしていますが、その奥には、政府を批判する者を反逆者として片っ端から銃殺していく革命政府への告発が隠されています。

 そんなひねくれたショスタコーヴィチも、若い頃はとても素直な作品を書きました。「主題と変奏」作品3は、作曲者弱冠16歳の時の作品。とても美しい小品(「まだショスタコの毒が出ていない」とはマエストロ長田の談)で、本邦初演です。

 ショスタコーヴィチは、生活のため、さらには自分や家族の命を護るために政府御用達の作曲家となりました。彼の息子マキシム曰く、「私は、父が泣くのを2度だけ見た。1度目は妻ニーナを亡くした時、2度目は共産党への入党を余儀なくされた時だった」と。その2度目の涙が、「ステンカ・ラージンの処刑」の中でバス独唱に切々と歌われるラージンの独白に重なるように思えます。――私の罪は、貴族どもに反抗したことではない。中途半端にしか反抗できなかったことが罪なのだ。――

 今回、そんなショスタコーヴィチの悔恨を歌うのが、3年前に初共演し、交響曲第13番「バビ・ヤール」で独自のショスタコ・バスを響かせて下さった岸本力氏です。また、「バビ・ヤール」のバス合唱に続いて、今回の混声合唱も一般公募で結成され、ロシア語もショスタコも処刑も未経験という果敢なチャレンジャーが大音響のオケに挑みます。おなじみ、当団常任指揮者の長田雅人氏も、「俺たちの21世紀は革命と処刑で始まる」とパワー全開!

ぜひ、新世紀2/18は、池袋の芸術劇場大ホールへ!

2000.11.3 オーケストラ・ダスビダーニャ団長 白川悟志


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