音楽界の著名人たちと肩を並べて

 
白川@だんちょー




 1月20日(火)、連続講義「ショスタコーヴィチ 人と音楽」の第2回目、井上道義による「粗大ゴミと音楽」を聴きに、図らずも、団長、インペク、団外広報の3人は青山カワイに結集した。
 会場に入るなり、いきなりチラシとチケットを受付に置かせてもらう(この辺は、われながら素早い攻撃だ)。
 さて、井上氏のお話の内容だが、まず、タイトルの「粗大ゴミ」というのは、特に深い意味はないが、氏が引っ越しをされる際、荷造りされた膨大な量のスコアや音楽書を見て、何となく音楽──特にショスタコの──って社会の粗大ゴミだなと感じられたことに由来するそうだ。お話の中身だが、まず、数年前まで評価の低かった11番、12番の交響曲の真価について触れ(註1) 、そして、タイムリーにも13番「バビ・ヤール」について、井上/京響のビデオを見ながらお話を進められた。これら3つの交響曲の政治権力との接点に触れ、氏は、「ショスタコは、困難な "環境" から逃げ出さず、これを素直に受け入れた強い人間だ」というふうにまとめられた。私は、前回ダスビのプログラムに長田先生が書かれたエッセイの中の、「圧倒的な危機感をエネルギーに変える」という村上龍からの引用を思い出した。(先生の真意はまた別かも知れないが)。



 さて、この日の講演会の "我々の" メインはこれからである。質疑応答の時間に、私は質問にかこつけて2/11の宣伝をしたところ(ちゃんとアカデミックな質問もしましたって)、井上氏はいたく驚かれ、その場で井上/京響の12番「1917年」のCDをプレゼントして下さった。また、作曲家の松村禎三氏が、チラシと招待券を手にして宣伝して下さった(これは岸本先生のご配慮)。さらに講演終了後には、ショスタコのポケット・スコアの解説を執筆されている作曲家の寺原伸夫氏が、「2/11は聞きに行けないけど、名刺頂ける?」と声をかけて下さった。また、井上氏に「バビ・ヤールのビデオをお借りできますか?」とお願いしたところ、「無くさないでね」と快く貸して下さり(註2) 、さらに「しかし、なんでショスタコばっかりやってんの?」とすっかり意気投合…? 2/11は、都合がつけば聴きにきて下さるとのこと。
 あまりにも派手に宣伝活動をしたからか、主催者の方のお顔が怖かった…が、地顔だろう、きっと。




 その後、近所の呑み屋にて──
「まあ、最近井上くんもショスタコが分かってきたみたいだね」
──こんな我々に、 "警鐘(3)"はもう聞こえない…。



(註1)  12番「1917年」に関するおもしろいお話。特に終楽章で、曲が盛り上がったところで現れては音楽の流れを妨げている謎の音形 "E♭−B♭−C" の正体は? ♭を取って "E.B.C" を眺めると、この3つのローマ字をそのままキリル文字として読めば、な、なんと "Ё.В.Сталин(ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・スターリン)" のイニシャル! 「どんなに素晴らしいことも、スターリンに象徴される独裁者が現れたら何もかも台無し」という意味か、と井上氏。さらに、終楽章の「人類の夜明け」という標題も、「夜明け」と和訳されてはいるが、ロシア語では「夜明け」も「夕暮れ」も同じ単語で表され(およそ太陽が上にない状態を表す)、前後の文脈から両者が区別されるのだそうである。終楽章の標題を、「人類の夕暮れ」という意味に捉えることも可能なのだと。
(註2)  井上/京響の「バビ・ヤール」のビデオ上映会を企画します。次回から練習が2コマになりますので、間の食事タイムにでも放映しようと思います。興味のある方はご覧下さい。
(註3)  11番「1905年」の終楽章、「警鐘」のこと。

(第5回会報より)


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